インタビュー特集

私たちが見据えるのは10年後の未来 〜学校経営補佐官 着任インタビュー〜 前編

隠岐島前高校では、今年度(2019年度)より新たに「学校経営補佐官」の職位を設置しました。全国初となる取り組みに、幸いにも多くの関心が寄せられています。
学校経営補佐官の設置にはどのような背景や経緯があったのか。学校経営補佐官とはどのような役割を担い、学校・地域ではどのようなはたらきが期待されるのか。そして、どのような未来を描いているのか。初代学校経営補佐官に着任した水谷智之さん(写真左)と大野佳祐さん(写真右)に聞きました。

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– 学校経営補佐官設置の背景を教えてください。また設置に至るまでにどのような経緯があったのですか?

<大野>
島根県の県立高校の異動のルールでは、学校長の任期は長くても3年間です。だから、学校長が中長期的な視点で学校経営に携わるのが難しかった。島前高校が掲げる「学校と地域とが一緒になって魅力的で持続可能な地域と学校をつくる」というビジョンの実現において、「魅力的な学校」の部分は取り組むことができても、それを持続可能なものにするという視点がなかなか持てなかったんです。そうした悩みがあるなかで、僕が水谷さんに相談したのが2年くらい前でした。ちょうど第3期魅力化構想を考えだした頃でしたね。

<水谷>
そうですね。島前が産み育ててきた「高校魅力化」という動きの根幹は、県の教育委員会がすべてを決めて学校はそれに従うという方針ではなく、自分たちで悩みながらも考えて進化していくというスタイルをとっているところにあります。島前3町村が自分たちで経営資源を獲得し、その資源を使って進化していくのが「経営」です。
一方、与えられた資源のなかでやりくりするのは経営ではなく「運営」です。指摘するまでもありませんが、国内の公立高校の多くは「運営」にとどまっているのが現状です。そうしたなかで島前高校は、地域と一体になって経営資源を確保し、つまり3町村から予算を引っ張り出し、それを使って教育の魅力化を探究してきた。しっかりと学校を「経営」してきたからこそ、廃校の危機を脱してここまで盛り返すことができたのです。

ただ、すべての問題が解決されたわけではありません。むしろ「経営」が問われるのはここからです。危機感がなくなれば、経営資源の母体である町村は手を引いてしまうかもしれない。学校長をはじめ現場の先生方は数年で入れ替わってしまうなかで、いずれ「運営」スタイルに戻っていってしまうのではないか。大野さんの相談を受けた私はそんなことを考えていました。

<大野>
そういうある意味では厳しい指摘が欲しくて、経営のプロである水谷さんに相談させてもらいました。自分自身はコーディネーターとして動いていくなかで、学校経営を社会に「開く」ことで異なる視点や価値観が現場に流入し、それによりチーム力が高まるのではないかと思っていました。それをもう一段高い視座から見て指摘していただけたのはありがたかったですね。ゼロからイチをつくってきたこれまでとこれからは、同じ経営でも進め方が違うはずなんです。ひとつの山を登りきってさあこれからどうするか。水谷さんの指摘の通り、何もしなければまた元に戻ってしまう。それをどう安定的に、持続可能にしていくのか。

<水谷>
当時の多々納校長先生とも同じような話をさせていただきましたが、驚くほど「その通りだ」とうなずいてくださったことをはっきりと覚えています。民間の経営者でさえ好調のときには危機感や課題感を持てない人が多いなか、これまでの挑戦や成功にとらわれず、じゃあこれからどうしていこうかという議論になったのは、衝撃的でした。これぞ島前なんだと感銘を受けました。

議論した話題のひとつが、経営の「時間軸」の話でした。経営において大事なことは、高い山に向かって時間をかけてでも登るという明確で強い意志を持つこと。2〜3年で学校経営のトップである学校長が入れ替わってしまう現状を前に、転勤や異動の影響を受けにくい外部人材が学校経営に中長期的に携わることが重要だよね、という話になりました。

<大野>
僕自身、第3期魅力化構想の骨子づくりを進めていたのですが、独りよがりではなく、苦しくても地域の方々みんなで作ろうと決めていました。水谷さんの指摘で、みんなの課題感や目指すところがグッと近づいてきた印象がありました。実際に、構想の中にも「特命副校長」という名でしたが、学校経営をチームで考えるというアイデアが含まれました。

<水谷>
中長期的な視点で学校経営に携わり学校長の意志決定をサポートする、外部の知見を取り入れるため民間の経営経験者を採用する、という学校経営補佐官の大枠のアイデアは早い時期に出ていました。ただ、そのアイデアをアイデアで終わらせず、現場に浸透させていくのは大変なことだったのではと思います。そこは、当時の多々納校長が尽力されたところです。

<大野>
そうですね。僕自身はアイデアはすごくいいと思っていましたが、もっと時間はかかると思っていました。申し訳ないですがすぐにはかたちにできませんと、水谷さんにお詫びした記憶があります。

<水谷>
時間をかけてでもみんなと一緒に、みんなを巻き込みながらやりたいんです。そう言っていましたね。大きく前進したのは、昨年10月の「島の教育『未来』会議」のときでした。全校生徒と先生方を交えて、魅力化の次なるビジョンを考えるワークショップをやって…。あそこまで生徒を巻き込んでできるのはすごいことだと思いました。1年間をかけてじっくり進めてきたことについてみんなが議論するあの体育館のシーン、僕も泣きそうでした。

<大野>
策定委員会で描いたビジョンに対しては、むしろ指摘の方が多かったです。いろんなアイデアが出されて、全部拾い上げると400くらいありました。あの場で、ビジョンの1つである学校経営に外部人材がチームで関わるというあり方について共通認識ができたことは、とても有意義でした。

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後編に続きます。

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