インタビュー特集

「Next Stage」後編(卒業生インタビュー)

地域みらい留学のnoteにて紹介された本校卒業生・山中瑞歩さんの声をお届けします。
地域みらい留学のウェブサイトも合わせてご覧いただければ幸いです。
前編はこちらからご覧ください。

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そして、ヒトツナギ部員になった

私はヒトツナギ部に入部し、1、2年生の7月、志望理由の1つであったヒトツナギの旅の企画・運営に挑戦した。ヒトツナギの旅とは、観光甲子園におけるグランプリ受賞をきっかけに、ヒトツナギ部が企画する毎年恒例の旅である。

島前地域を舞台に全国の中高生(島前地域も含む)を対象とした旅では、参加者に島前地域に愛着や誇りを持ってもらうことを目的として、地域の方との交流や自然を満喫する企画を考えた。特に2年次では旅の半年以上前から構想を練り始め、高校の職員会議向けの資料作成や地域の方々への相談、活動の協力依頼などを部員で行うほどだった。部活外での話し合いも調節し、旅の土台作りのための地味だけれど大切な、本当にめまぐるしい日々を過ごした。

部員間での情報共有が上手く機能せず、部としての進捗が滞ることや、顧問と部員の関係性の在り方について悩むこともあった。特に、人を相手にした関係性を考えることが最優先の企画であるため、部員と地域の方、そして参加者にとって最高のコンセプトを考えることは至難だった。

それらの数々の失敗や反省は今に活きる実践知となっており、部員ならではの成長痛とも考えられるだろう。当日は19名の参加者が集まり、3泊4日の旅では地域の方の日常にお邪魔するホームステイをしたり、地区の歴史に触れたりするなどの企画を実施した。実際に、ヒトツナギの旅に参加した後に島前高校に入学する後輩も多い。前述の通り、私もその一人だ。

島前地域との関わり方は多様であると思う。ヒトツナギへの参加をきっかけに、参加者が自分の関心の幅を広げたり新しい気付きを得て一歩を踏み出したりするきっかけに繋がるなら、私たちの使命は果たされるはずだと確信している。

寮という居場所

寮生活では、男女ともに「教育寮」として自主的な生活が保てるような運営をしていた。これこそ三燈寮(男子寮)、鏡浦寮(女子寮)ならではの魅力である。私の入学した頃と比べると、各自の係以外に、「住みやすい寮」のための多種多様な有志のプロジェクトが20近く立ち上がっていることに気付く。

私は、新1年寮生への寮則説明を担当したことをきっかけに、全寮生が寮則を守る意味を考えて行動できるようにするべく、守る意味や改訂箇所について話し合い、その目的を達成することが出来た。

また寮生の現状を“ゆるキャラ”のコンセプトに込め、地域活動の際のトレードマークとして活用する案を考えたり、毎日取り組む掃除時間を見直し、効果的な掃除方法やモチベーションを保つための案を提案したりする活動に取り組んだ。

どのプロジェクトにも共通していることは、挑戦者として実践知が身につく機会があることであると考える。その機会を掴み、進捗の下で起こる失敗や成功から学びや気付きを取り出すというプロセスは、高校で実践されているPBL型学習における課題解決力を養ううえで大切である。書籍やトップランナーから得た知識や方法を知っているだけでなく、その上で自分なりの実践知を試してみることで活きた知識となる。

私たちの卒寮した鏡浦寮に、「共に挑戦する寮」が続いていることを願う。

“一つ二つ、自分たちの代でできること、考えて残そう!!”
<2018/1/30日記より>

シームレスな学び舎

このように、学び舎は授業の枠を超えて、島前地域に広がっている。見方を少し変えるだけで、どんなことからも学ぶ姿勢を身に付けることが出来るのだと驚いている。それは、島前地域が選択した地域創生の方法が特別なのではなく、それを実践したり島前地域に集まる人々から私は影響を受けていたと感じている。

「土の人」、「風の人」という言葉をご存じだろうか。前者はその土地に根づく人を、後者は地域外から関わる人を指す。前述のヒトツナギの発端は、まさに両者が交わることによって当たり前とされていた地域の特徴に魅力を見出し、発信する観光プランを考えたことだった。

中世において流刑地であった島前地域は、島民は流刑人に対しても寛容的だったと地域の資料館で聞いたことがある。

風の人に対する精神が、今も根付いているのだろうか。土の人と風の人とのコンビネーションは今までにない化学反応を起こし、世界の過疎地域の課題解決事例にもなり得るチャンスがあるという。

私は、地域創生に関わる大人の多様な挑戦を目の当たりにし、時には一緒に考え、悩み、典型的な田舎像のシナリオに違和感を覚えたこともあった。挑戦する目的が異なるとはいえど、この島前地域では普段から人との距離が近くて見守られているような、人見知りをする暇もないくらいに温かく迎えてくれるような場面が多かった。私たち島留学生も、信頼関係で結ばれた人々の輪の中に参入し、やがて一人の海士町民として、一人の挑戦者として同じフィールドで学びを得ることが出来たはずだ。

まとめ

ふとした好奇心から実践するまでの試行錯誤には、膨大な段階や工夫などが必要である。隠岐島前地域では、その活動を全力で支えてくれる環境に出会えた。勉強から日々の悩みまでバックアップすることのできる隠岐國学習センター、行事で会う度に親身に話を聞いてくださった知り合いの地域の方々…。

信頼関係の輪はいつしか、行事の手伝いをしに地域の方と話したい、興味のある職の方に会えるかもしれない、といった、私の小さな好奇心の幅を広げてくれたのだった。

どの場所で活動するにせよ、すごく気が合って一緒にチャレンジしていきたいと思う人、色々な面で尊敬できる人、一方で関わり方が分からない苦手な人など、多様な価値観を持った人々がいることだろう。同じ活動をする中でも、全員の学びには、一人一人がどこまで意識して取り組めるかが関係している。アクティブラーニングを目的とするのではなく手段だと認識するべきだと考えたのも、日々の授業の中で考えついたことだ。

島前高校の教育現場には、活動に対する意識の違いを考えて活動することで、違いある他者とどう向き合うかについて考えるヒントが沢山あったはずだ。不思議なことに、思い切って色々な人と話すことで自分の強みや弱みを発見出来るきっかけに繋がることが多かったのだ。

PDCAサイクルが自然に回るようになり、自己分析に自信を持てるようになったことが、私にとって非日常的な体験だった。実家に帰省してゆったりしたり、趣味に没頭したりするなどして、その体験が日常的な体験と区別されていることが分かった。それが繰り返されるにつれて、2つの体験を右往左往するのではなく、日常的な体験の中に非日常的な体験を発見することやその逆のことも出来るようになったと思う。

私は、どちらの体験も好きだ。
だからこそ、これからも多様な価値観や文化を理解する楽しさを伝えていこうと思う。新しいフィールドで生きる、進化した自分に出会うために。

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