校長室より

【図書館配架の新聞が1紙増えました】

早いものでもう12月、4月に着任してからあっという間の8ヶ月だった。今月も学校視察や訪問指導、加えて諸会議も目白押し、文字通りの師走となりそうだ。だが、今月にあっても学校が落ち着きを失うことなく、生徒の学ぶ環境の安定に努めたい。

 

さて、本校HPの『校長室より』(2022/10/13『第1回 失敗の日』を終えて)にて、『「計画的偶発性理論」(個人のキャリアの8割は、本人の予想しない偶然によってコントロールされる)について、自身の「出会い」や「出来事」を紹介できれば…』と記述していた。今回は自らの体験を一つ紹介させていただく。

 

私は学校関係者からはよく「NIE(Newspaper in Education)の野津」と呼ばれることがある。それは地歴・公民科の教員として、新聞を補助教材として活用する授業を実践していたからであろう。各紙の見出し比較や読み比べ、自身の考えを投書、他メディアとの比較から始まり、その後には地域や社会の中での課題を見つけ、解決のために行動する力を育むことを目指していた。ここ10年は膨大な玉石混淆の情報が行き交うインターネット社会で、必要な情報を取捨選択し、情報の確からしさを吟味して読み解く情報活用力の育成を目標として、新聞記事との比較も含めたメディアミックス実践に努めていた。今回の話はその新聞が引き起こした偶然である。

 

生徒たちが教師を思わぬ発見へと導いてくれることは多い。20年近く前の2月の話であるが、高校3年生の生徒が私のもとにやってきて「先生!言語聴覚士の勉強ができる学校に合格しました。うれしいので、まず先生に報告に来ました。合格祝いの握手してください」と大喜びしている。あっけにとられながらも、ともに合格を喜んだ後に「合格報告はまずは担任のところだよ。でも、なぜ私のところに最初に来たの?」と生徒に尋ねた。その答えは「先生は私たちが1年生の時に、授業で使った新聞を教室に置いていきましたよね。昼休みにめくっていたら、ことばによるコミュニケーションに問題がある方に専門的サービスを提供する仕事があるという記事がありました。それをきっかけに私は言語聴覚士になりたいと決めて頑張ってきました。ただ、まだ学校の数も少ないし、合格できなかったら恥ずかしいし、今日まで黙ってました。先生が新聞を置いてくれていなかったら、今の進路志望はありませんでした」というものであった。

 

この出来事は私にとって、教師の言動には重い責任があると再認識をうながすとともに 「教科での新聞活用」に固執していた自分に「新聞はキャリア教育にも活用できる」と気づかせてくれた。新聞記事には人生ドラマが凝縮されているので、生徒たちが自身の生き方を重ね合わせながら対比することが可能である。また、新聞はめくれば自身に興味や関心がないことでも活字が目に飛び込んでくることから、意外な発見につながる可能性がある。私が教室に新聞を置いて帰った偶然、生徒が昼休みにそれをめくった偶然、その新聞がその日に「言語聴覚士の資格ができる」と報道してくれていた偶然の重なり合い。この出来事はさらに私が偶然にも「計画的偶発性理論」を知り、学ぶきっかけともなった。

 

最後にあらためて、もう一度。隠岐島前高校の学びにおいては、新しい「出会い」や「出来事」を得る機会は少なくないはず。そうした時、これまでになかった違和感を覚えた時こそ、より強い関心を持って、取り組んでみてほしい。図書館の新聞も一紙増えた、めくってみれば新たな出会いが待っているかもしれない。そして、先生方へは生徒の日々の学習の中に「偶然との出会い」を仕込んでいただければと望んでいる。

 

終業式まであと二十日あまり、ノー原稿の校長として、そろそろ話す内容を真剣に考えることとしたい。

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