日々の実践2025年3月5日 (水)
令和6年度卒業式 卒業生答辞
1日(土)、令和6年度卒業式が行われました。ご来賓の皆さま、保護者・島親さんもお招きし、在校生・教職員一丸となって精一杯送り出しました。
今日は、卒業式当日、卒業生代表として、島留学生の清水映さんによって読まれた答辞を紹介文と共にご紹介します。
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卒業生代表の清水映です。この度答辞を読ませていただいて本当にありがとうございます。つたない文章で恐縮ですが卒業生の思いを感じ取っていただけると幸いです。
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青く澄み渡る水平線が見えるようになり、柔らかな春風が吹き抜けるようになりました。本日は私たち50名のために、卒業式を挙行してくださること、卒業生を代表して感謝申し上げます。
「ないものはない」。その言葉を初めて目にした時、そう言い切れる島の自信や懐の深さに単純にかっこよさを感じました。それから、あっという間に3年が経ちました。中学生の頃は日常がコロナによって淘汰され、マスクの下にあるその笑顔をみることができませんでした。高校でも同様になってしまうのかという不安をよそに、無事対面での入学式が叶いました。当初は地元ではできないような生活に期待を抱いた反面、初めての環境で初めて会う人ばかりで緊張したこともまた事実です。しかし、歩こう会や日々の寮生活、碧燎祭を経て徐々にその緊張は楽しみへと変わっていきました。
一年生での碧燎祭ではその完成度に圧倒され、何から何まで自分たちで準備することに驚きました。三年後の自分たちもこの碧燎祭を作り上げるなど、当時は想像がつきませんでした。しかし先輩となり、徐々に自分たちが学校を引っ張るような存在となりました。三年生になってからは、本気で碧燎祭に取り組んだことでこの先忘れることができない最高の舞台を完成させることができました。始めはままならなかったダンスも少しはまともに踊れるようになったのではないでしょうか。先輩たちから受け取った伝統を引き継ぐことができたと感じます。
研修旅行はコロナの影響で、まだ海外渡航は厳しいかと諦めていましたが、3年ぶりの海外研修となりました。その発表を聞いた時のみんなの歓声は今でもよく覚えています。普段ではできないようなことをする機会となり、調子に乗ることもありましたが今思えばそれもいい思い出です。みんなで乗った飛行機もみんなで食べたチゲもみんなで帰った道のりもあの寒さも忘れられません。その非日常感は特別なものとなりました。
地域共創科一期生として右も左も前も後ろもわからずにいた日々は平坦なものではありませんでした。しかし諦めずに取り組み続けたことや周りのサポートがあったおかげで少しづつ進むことができました。だからこそ、最終発表の後の達成感へとつながりました。これらの経験はこれからの人生の探究活動における一助となりました。
他にも、熱がこもった先生の授業も、夜遅くまで寮で大騒ぎしていた日も、当然のようにあった日常は幸せそのものでした。3年生はあっという間に通り過ぎました。歩こう会や球技大会、碧燎祭が昨日のことのように思えます。3年生として振る舞うことができたかどうかはわかりません。でも島前高校にいれる最後の一年を大切なものにできた自負があります。
そして何よりこの島前高校生活を通して感じたことは人の存在の温かさです。今でもたまに思うこともありますが、始めは、人は結局一人で生きていると考えていました。人生を築くのは自分自身であり、それ以上でもそれ以下でもないと。でも少し違っていました。ここで暮らしていたおかげで、そう思えました。
先生がいてくれるから勉強しようと思えました。「わからない」がどんどん「わかる」に変わりました。くだらないけれど楽しかった先生との雑談はかけがいのないものでした。どの先生もユーモアあふれるような人間性を持っていて生徒想いでした。受験前で辛かった時に優しく接してくれた時は涙が溢れてしまいました。ちょっと怖い先生も行事ごとになると草刈りをして生徒のために行動してくれたり、気さくに話しかけてくれたりしました。どれもこれも僕が教員になりたいと思うようになったきっかけでした。
魅力化スタッフがいてくれたから少しでもいいから何かに踏み込んで挑戦しようと思えました。今思えば自転車を好きになれたきっかけは失敗の日のおかげでした。何かに悩んでいたらそれを察知するかのように話しかけてくれました。あの時声をかけてくれたことはとても嬉しいものでした。それからは僕も悩みを聞いてもらうことが何度もあったし、恋愛相談をしたことは忘れもしません。魅力化の皆さんがいつの間にか近い存在になっていました。
地域の方々や島親さんは初対面の僕に対しても優しく接してくれました。それに感化されました。まだうまくはできないけれど、その接し方ができるような自分でいたいと思えました。たまに怒ってくれたことも愛でした。ここには面白い人がたくさんいたのだから、もっと色々な人と関わっていればよかったと思うのが唯一の後悔です。
後輩は僕にとって他者と関わる実践の場になり、自分のあるべき姿というのが見えました。多分嫌な先輩だったんだと思います。いつもぶっきらぼうで少し怖かったり、ルールに厳しくて面倒臭いと思っていたりしたかもしれません。ごめんなさい。不器用ながらも精一杯向き合おうとしましたが伝えきれない思いがありました。それでも明るく接してくれた後輩がいたことは恵まれていたと感じます。
同級生たちがいてくれたおかげで日々の学校や寮での生活が楽しく感じられました。喧嘩することもあったり、ちょっときまずくなったりしたこともあったけど、泥まみれでサッカーをしたり、鍋をして歌ったりした時間は宝物です。うまく言葉にはできないけれど、僕達の学年はどこか自由さを感じます。各々が各々のやりたいことに突き進んでいて、その直向きな背中は何人も真似できるものではありません。どこか知らないうちにその姿に感動していました。自分も負けまいと思えるようになりました。そんなみんなが大好きです。
そして両親。ここにこれたから両親にどれだけお世話になっているかを感じます。毎日洗濯物を洗って干してたたんでくれていたことや、いってらっしゃいとおかえりの言葉に本当に救われていました。多分誰よりも迷惑をかけてしまいました。面倒臭くて全く連絡を取ろうとしませんでした。息子がどうしてるか不安で心配で仕方がなかったのにそれでも帰ったら美味しいご飯を作ってくれ、変わらぬ愛情を注いでくれました。今の自分がこうしてこの場に立っていられるのは何よりも両親のおかげだと実感しています。
でもやはり僕らは一人で生きています。ただそれは孤独という意味での一人ではありません。知らない間に人から影響を受けていました。この体と心が成り立ってきたのは何よりも 周りの人のおかげです。その上で一人で生きているんだと思えました。
ありがとうの一言では形容できません。僕が何をしようが応援し続けてくれました。どんなに気分がいい時でもどんなに心が落ち込んでいても。それでも僕の存在を否定することはありませんでした。このままでいいんだと思わせてくれました。明日が不安な日々から、少しでもいいものになってほしいという期待に変わりました。完璧でなくていい。不完全な僕らにこそ僕ららしさが潜んでいる。そう思わせてくれました。だからそうしてくれる人たちがかっこよく見えました。多分僕はあまり変わっていません。変わっているように見えているだけです。でも大事なものができたところは変わりました。ないものはない。初めは漠然としてしか捉えることができなかったこの言葉の意味が本当にわかった気がしました。僕たちにないものはない。
それはきっと一人一人違います。それは決して言葉にできるものとは限りません。でもきっとこの高校生活を通して得たそれは今後の人生に大きな価値をもたらしてくれるのでしょう。ここでしか会えない人と出会い、ここでしか考えつかないようなことを考え、ここでしかできないことをしました。隠岐島前高校に来た自分を何よりも誇りに思います。三年間関わってくださったすべての皆様へ感謝を込めて、答辞といたします。
令和七年3月1日卒業生代表 清水映