日々の実践

2年生研修旅行日記 3日目(11月16日)

14日(月)からスタートした2年生の研修旅行、研修旅行中は、「研修旅行日記」として毎日生徒の様子を発信しております。本日は、3日目の様子をお届けします。

 

16日(水)、本日は昨日より気温が上がり、散策には絶好の天候となりました。この日はバスで仙台市から気仙沼市へ移動して3日目がスタートしました。朝からたくさんご飯を食べて英気を養いました。

移動中のバスの中では先生たちと研修旅行の気づきや教科の話をして学びを深めている人もいました。

気仙沼伝承館で東日本大震災について学びました。当時の映像を見た後、各班に分かれて語り部さんの説明を聞きながら震災の悲惨さを改めて体感することができました。気仙沼向洋高校の跡地を見学しました。津波が海抜13Mのところまで来た跡が残っていました。教室の中に車やがれきがいっぱいあり、場所によっては天井まで津波が来た様子がわかりました。

最後に語り部さんの一人から「私たちに伝えたいこと」としてメッセージをいただきました。以下は語り部さんのお話です。

 私は語り部になるなんて思っていませんでした。今ここでこうしてみなさんにお話していることが不思議です。震災の日、私は高台にある会社で仕事をしていました。家に帰れたのは翌日で、その時には家は流されて何もありませんでした。そして、私は津波により妻と家族を亡くしました。なぜこの語り部になったかと言うと、気分が落ち込んでいた時に周りの人に支えて励ましてもらって今生きることができているからです。この案内をするたびに、あの悲しい出来事を思い出します。それなのになぜ続けているかと言うと、皆さんに私と同じ思いをしてほしくないからです。みなさんに伝えたいことは住んでいるところのリスクを把握するということです。リスクを把握して準備、行動をしてほしいということです。ハザードマップは鵜呑みにしてはいけません。ハザードマップは明治三陸大津波の伝承を参考にして作ったものですが、それ以上のことが起きたのです。

この地域の人たちは頻繁に津波の避難訓練をしていました。津波が来た時、訓練どおりの場所に逃げましたが、そこに逃げた人は全員亡くなりました。この津波は私たちが想定できる範囲を大きく超えたものとなったのです。この地震の被害は1000年に一度のものと言われています。それが11年前に起こったのです。近い将来、地球温暖化の影響で先代が経験してこなかったものが起こるかもしれません。みなさんは長い人生の中で生活拠点が変わるかもしれません。そのとき、次の生活拠点はどうなんだろうかと自然災害に対するリスクをぜひ把握しておいてください。知っているか知っていないかで全然違います。

みなさんにはここにある写真に写っているものはがれきだと思いますが、私にとってはすべてが私の大切な財産なのです。私の話、ここに来られた経験がみなさんの何かの役に立ったら私はとても嬉しいです。

伝承館に来場した方たちのメッセージが掲示されています。掲示された後は大切に保管されるそうです。我々も今日感じた思いを残すためにメッセージを書きました。

その後、伝承館から気仙沼魚市場に隣接した観光物産施設「気仙沼 海の市」に移動し、昼食を取ったり、お土産を買ったりしました。到着の際には、現地のコーディネーターさんたちが出迎えをしてくださいました。

そしてみんなで記念撮影をしました。みんな楽しそうな顔をしていますね。

午後からは生徒と現地のコーディネーターの方との打ち合わせを重ねて考えたこだわりのまち歩きを6班に分かれて行いました。一人ひとりが事前に考えた問いを頭に置きながら、コースガイドのみなさんに案内してもらいました。それぞれの班の内容は以下のとおりです。

<まち歩きコース1「日本一漁師を大切にする港町コース」>

全国から集まる漁師がくつろぐために銭湯に入ることが慣習になっていました。津波によって銭湯が廃業に追い込まれそうになり、存続のために活動をし始めました。漁師のために銭湯を残そうとしたところ、居酒屋やバー、ラーメン店等が、その考えに賛同し、コンテナハウスの店舗を集めて、みしおね横丁として活動するまでの話を聞かせていただきました。随所に漁師を大切にしている気持ちが感じ取れ、まちづくりには相手の気持ちを思いやることが大切だと感じることができました。

<まち歩きコース2「復興から新規事業に取り組む熱い産業コース」>

このコースでは、気仙沼市の基幹産業である漁業を支える藤田製函店と岡本製氷冷凍工場に行きました。被災直後はいち早い漁業の再開に貢献され、近年では倉庫を活用したトランポリンジムや観光客向けのかき氷キッチンカーの事業に挑戦されていました。仕事に対する責任感と新たな価値の創出に挑戦する姿を見て、今後の夢探究のアイディアを得ることができました。

<まち歩きコース3「歴史と文化、震災前後の変化を感じるコース」>

このコースでは、防波堤を作るにあたっての議論の家庭や日本初の防波堤(フラップゲート)について、「恋人」という言葉を生み出した落合直文の和歌、製氷工場の見学やその昔日本中の漁師でにぎわった太田地区の見学などを行い、数百メートルの間に存在する新しい街並みと古い街並みを比較しながら様々な視点から歴史や文化について学びました。

<まち歩きコース4「移住者と巡る高校生のチャレンジコース」>

このコースでは、漁具のアップサイクルに取り組む元ネットTV製作者、オンラインスクールに取り組む現役大学生の地域おこし協力隊員という多彩な4名の起業家へ問いを投げかけて「チャレンジしたくなる気仙沼」について探究しました。

<まち歩きコース5「風待ちと復興への祈りをこめてコース」>
このコースでは、気仙沼の文化財となっている建物や街並みを散策しながら、復興祈念公園へと上がりました。高台から震災当時の写真と現在の風景を見比べ、11年という月日の厚みと、自然災害の脅威を痛感しました。その後は、被災後に元あった建材を用いて再建された武山米店さんを見学し、今なお残る貴重な建築に触れることができました。

<まち歩きコース6「様々な世代を超えたチャレンジの連鎖」>

このコースでは、土地の区画整理で嵩上げされ、商業施設が建設された内湾エリアと、以前はにぎわっていたが、現在は空き店舗が多く、後継者不足が深刻になっている八日町エリアとを見て回りました。カフェバーに併設して子どもの居場所として手作りで体育館をつくられた方、高齢者の居場所として自身の店舗を利用をされている方、サラリーマンからコーヒーショップオーナーへ転身された方など新たなエリアマネジメントを考えている4名の挑戦家のお話を聞きました。「まちづくりはお金のためではなく、次世代に良いまちを残すためにやっているんだ」という言葉が印象に残りました。

まち歩きが終わった後、現地のコーディネーターさんと生徒の進行で各班で学んだことを共有しました。「心に残ったキーワードは?」「海士町で生かせそうなものを一つあげよう」について意見を交換しました。

最後に、この1日を企画・準備をしてくれたメンバーで記念撮影をしました。

また、まち歩きでは、現地のコーディネーターさんにもたくさんのご協力をいただきました。ありがとうございました。

気仙沼研修の最後に、復興を遂げた新しい町である内湾エリアで、青い空と海をバックに写真撮影をしました。私たちがこれからの世代を担っていくんだと、決意を新たにした人も多くいました。きっとできることから始めれば、明るい将来が待っているはずです。本日も大変学びの多い最高の研修となりました。

ご協力いただいた気仙沼の皆さま、本日は本当にありがとうございました。

明日は仙台市から東京へ場所を移して、東京自由研修です。事前に一人ひとりがテーマを作成し、それを達成するために立てた計画にしたがって、様々な場所に行きます。実りの多い研修にしてほしいと思っています。

明日も気を緩めず、体調管理に気を付けながら研修旅行を過ごしたいと思います。

この記事をシェア