校長室より

令和6年度 1学期 始業式 校長式辞「どんな人と出会うかは その人の「命の器」次第」

おはようございます。

今朝(4月8日)の8時ごろ、校長室のドアが開いていたのですが、廊下から男子生徒が「おはようございます」と声をかけてくれました。私も「おはよう」と返事をしました。その生徒がどういう気持ちで声をかけてくれたのかはわかりませんが、とてもうれしく、心強く感じました。

春休み中に赴任してきました。私は5年ぶり3度目の勤務となります。1度目はほぼ20年前で、自分の年齢が30代でした。2度目は40代のおわり、そして50代も半ばとなって3度目の島前での春を迎えています。

春休みで、生徒のみなさんにお会いする機会はなかったのですが、みなさんは春休みはどう過ごされましたでしょうか。帰省したり、部活動をしたり、地域の活動に参加したり。

計画していたとおりの過ごし方ができた人も、予定どおりに過ごせなかった人も、ひとまず、今日の始業式を迎えられたことに感謝したいです。

学年が1つ上がったので、教室からの風景も、クラスの同級生も少し違って見えます。皆さんを迎えた先生方も、メンバーが変わりました。先生方はもちろんですが、みなさんも何かわくわくする気持ちが沸きあがってくるのではないでしょうか。明日は新入生を迎えることになります。先輩として、新入生たちの様々な手本であってほしいと思います。

加えて、先輩としての自分が、この1年、もしくは2年間歩んできたことについて、適切に伝えられるよう整理しておいてほしいと思います。自分が体験、経験してきたところから生じた思いであれば、それは必ず人に通じます。「皆さんが、なぜ隠岐島前高校に入学(進学)したのか、それをもう一度きちんと思い起こして、新入生を迎えてください」とお願いしておきます。

 

さて、みなさんに私という人間を知っていただくために、私のこれまでの歩みを少しお話します。(中略)

振り返ってみると、いろいろと回り道をしながら現在に至っております。ただ、1つ言えるのは、様々な人と出会った結果、今の自分に至っているなあ、ということです。

宮本輝という作家のエッセイに「命の器」というタイトルの本があります。その中で、「出会いとは 〜偶然ではない〜どんな人と出会うかは その人の命の器次第」という言葉に出会いました。「抗っても自分という人間の核を成すものを共有している人間としか結びついていかない。嘘だと思う人は自分という人間を徹底的に分析し、自分の妻をあるいは自分の友人を徹底的に分析してみるといい。出会いが断じて偶然ではなかったことに気づくだろう」とつづられています。

 

隠岐島前高校の学びにおいては、新しい「出会い」や「出来事」を得る機会は少なくないはずです。そうした時、これまでになかった感覚を感じたときこそ、より強い興味や関心を持って、学びに取り組んでほしいと思います。

自分の身の回りで起きること、様々な偶然というものをいかにキャッチして、いかに自分の行動につなげていくか、ということが実は大切だ、ということです。様々な人との出会い、調べ学習での様々な本や著作者との出会いも体験したはずです。そのなかに、もしかしたら、皆さんの今後の人生を左右するような偶然(きっかけ)が転がっているかもしれません。

今朝、「おはよう」と私に声をかけてくれた人、いいスタートが切れそうだとうれしく思いました。ありがとう。

今年度も、皆さんはたくさんの新しい活動をして様々な学びに出会っていきますが、自分の周りの偶然を、しっかりキャッチできるように意識して過ごして欲しいと思います。

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