校長室より

「聴く力」(令和4年度第3学期終業式式辞:書き起こし)

おはようございます。令和4年度3学期の終業式を迎えることができました。

 

この一年、スタートの時には、新型コロナウィルスにより、さまざまな制限が継続する中での始まりでしたが、ようやく年度が終わる頃になって、多少、来年度からの明るさというものが見えてきました。

 

そのような中で、この一年、皆さんが本当に頑張ってくれたなと私は思います。先日、探究成果発表会がありました。皆さんの発表や最後の振り返りの時に、皆さんの口から、「踏み込み」「振り返り」「失敗」という言葉が随所に出てきていたこと、素直に嬉しかったです。

 

皆さん、3年生に進級、2年生に進級、4月もいよいよそこまで迫っています。ここでもう一度、自分がなぜ隠岐島前高校に入学したのか、心の中でしっかりと整理して4月を迎えてください。そして、始業式の時には元気な皆さんに会えることを楽しみにしています。

 

さて、10月13日に、失敗の日がありました。その時には時間もなく話せなかったことをひとつ話したいと思います。それは今から30数年前のことです。私が18歳の時に感じた失敗についてです。

 

18歳の高校3年生、当時私は、国立大学への進学を目指していましたが、現在とは異なり事実上1回しか受験チャンスはありませんでした。共通1次試験を受け、その後大学へ願書を出し、大学の二次試験を受けるというシステムでした。私は、1次試験で実力を超える点数が取れました。そこで私は、多くとれた点数を活かして、志望していた大学よりも難しいA大学を受験しようと決めました。ところが、周りは大反対でした。担任の先生からは「たまたま点数が良かっただけだから、それをアドバンテージにして、元々受ける予定だったB大学を受けなさい」と言われました。友人たちは「気持ちは分かるけど、2次試験の学力足りないからここは冒険しない方がいい」と言われました。私は、そんな声を素直に聴かず、深く考えることもなく、勢いだけでA大学を受験しました。結果、見事に不合格でした。中途半端な自信を持っていた私は、調子に乗って、大学まで合格発表を見に行きました。私の番号はありません。私はその後、乗車した電車の中で放心状態。降りる駅さえ忘れたかのように電車の駅を何駅も通り過ぎました。結果その後、別の大学に進みました。

 

あとになって思いました。なぜ、あのとき自分は人の話を素直に聴けないんだろう?相手が自分に対してあえて苦言を呈してくれたということは、自分のことを本気で考えて言ってくれたはずなのに、なぜ自分は…。その時から、少し私の性格が変わったのではないかと思います。人が何かを話してくれる時、特に苦言を呈してくれるときには本気で受け止めよう。わからなかったら質問し、対立する際には議論をしよう。大学受験を通じてのこの失敗経験は本当に自分の人生を変えてくれる失敗でした。

 

目標の大学には行けませんでしたが、今振り返ってみると、実際に進んだ大学に行っていなければ、きっと教員にはなっていません。あの大学に行っていなければ、きっと今の家族もいません。人生、どこで何が自分という人間を変え、あるいは導いてくれる機会になるかというのは、なかなか予測ができません。後になって振り返ることしかできないかもしれない。だけど皆さん、今皆さんの周りに、敢えて自分のために苦言を呈してくれる人がいるならば、ぜひその人たちを大切にしてください。そして、聴く力を十分身につけてください。これが、今日伝えたいメッセージです。

 

私自身、まだまだ失敗の数はとても多くありますので、いくらでも話せます。興味があれば、また校長室に聴きにきてください。

 

以上で、終業式の式辞を終わります。

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