校長室より

「正解のない問い~正しい判断とは?」

人前で話す機会を多くいただきますが、私はほぼ原稿を作成しないタイプ。そのためもあって、HP上に掲載もできず、発信が行えない状況でした。今後不定期にはなりますが、ふと感じたことなどを時折アップさせていただきます。

 

最近、日々自問自答していることがある。それは「何を持って正しい判断といえるのか」と言うことである。「個別最適な学び」という言葉がよく聞かれるようになっているご時世、生徒一人一人の興味・関心・能力の把握に努めるとともに、成し遂げた結果をくみ取りたいと思っている。が反面、学校教育の場にあっては全体としての平等を担保していくことも求められる。

哲学者のアリストテレスは「中庸」という考えを説いている。中庸…かたよることなく、過不足がなく調和がとれていること、すなわち「ちょうどよいバランス」という意味。

公民科の教員として「中庸」の例として、私もよく生徒に伝えてきたのは「傲慢と謙虚」や「浪費とケチ」の話。これら二つの言葉は反対語だが、どちらも極端すぎるとあまりいい意味ではない。これらを中庸に変換すると【傲慢+謙虚】の調和=最強のモチベーションとでも表現できるのだろうか。謙虚が過ぎると自信を失い、傲慢すぎると努力をおこたる。両者を理解すれば「才能はないけど、やれるところまではやってやる」というところまで意欲を高めることはできそうである。【浪費+ケチ】の調和=賢い消費あるいは気前がよいとでも表すことができるのだろうか。昨年の大河ドラマの主人公にもなった渋沢栄一は「無益な事には一切浪費せず、支出すべき処には欣然として支出するのが是れ奢にも流れず倹の弊にも陥らぬ中庸の道である」と説いている。アリストテレスはこの「中庸」を習慣化することで、判断のレベルは上がり、心がけがより良いものになると考えた。

この数日、島根県内のコロナ感染確認者数が急増している。数字をどのように受け止めるかは各人の判断にお任せしたいが、本校は今後コロナ禍からの脱却の一歩として、オープンスクールや学園祭開催の有無などの判断が迫られる。生徒や保護者の皆様、地域の方々、教職員それぞれの思いは受け止めながら、私は【無謀+臆病】の調和=「勇気」を追求してきたいと思う。生徒に説いてきた私が試される順番が回ってきた。単なる怖いもの知らずではなく、怖さも知り得ている臆病な思いを混ぜ込むことで、適切な「勇気」を知り、それをもって判断ができるようにと…。

 

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