インタビュー特集

高校生が何かやってみたいと思った時に親身になって応援してくれる。(生徒インタビュー/前編)

藤田一休さん

取材時3年/卒業後、新規事業主として地元・広島で就農予定

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 – どうやって「島留学」を知ったの?

家族で最初に島留学を見つけたのは父でした。私が小学校高学年の頃から「息子に行って欲しい高校はあそこだ」って知人の間で結構話してたみたいです。本格的に島前高校を調べたのは、中学2年の春だったと思います。そして、クラスの中で一番最初に志望校を宣言してました。


– 最終的に「島留学」することにした決め手は?
理由は2つで1つ目が、周りの同級生と同じように地元周辺の高校に進学するのがなんとなく嫌だったんです。同級生が嫌いだったわけではありません。ただ、このままだと環境の変化が望めないと思い、どこか「ぶっ飛んだところ」に行きたいという願望がありました。

そして、実際に隠岐に足を踏み入れたのは中学3年の夏、高校は学園祭でした。今でも覚えていますが、そこには「流し素麺」のブースがありました。ふと、流し台の終わりを見るとバケツしかおいていませんでした。バケツが水で満杯になれば水と一緒に素麺も流れ出て悲惨な光景を生み出すのでは…、それを防ぐにはバケツの上にザル等を置くのが一般的な方法です。瞬間的には学校に対するマイナスイメージが湧いてきました。

でも同時に、こんな疑問も湧いてきました。「これは大人の指導がなってないのではなく、そもそも大人が関わらず生徒主体で進めているのではないか?」と。生徒が嫌々やらされてるような印象はありませんでした。2つ目の理由がまさにこれでした。生徒が主体性をもって物事に取り組んでいる、ならばこの高校に入れば、自分がやってみたいことができる環境が提供されるのではないか。このように私は考えました。そして、私の勘は間違っていませんでした。島前地域の方は私たち高校生が何かやりたい、やってみたいと思った時に親身になって応援してくれる、高校生にとって素敵な環境だ、ということは断言できます。


– 素敵な話だね。島前地域に来て学んだことで印象的なことはある?
授業においても協働するということです。私は中学卒業まで、いわゆる講義型の授業ばかり受けていました。分からないことがあれば、授業が終わってから先生に尋ねるのが普通でした。
しかし、島前高校のいくつかの授業はその私の中の常識をぶち壊しました。先生が前に立っていてもほとんどその口を開かない。生徒は自分のペースで学習を進めている。疑問が生まれても、生徒同士で解決していく。「分からないからここ教えて!」と私に相談してくる同級生もいる。この光景を外から見たなら、生徒は先生の話を聞かず、勝手にお喋りに興じているように捉えられ、授業崩壊だと憂えるかもしれません。

しかし、そこには真の学びがあったと私は思います。生徒同士で教えることにより、教える側は教えるために正しい知識を得ようと努め、教えられる側は同世代のわかりやすい表現で学ぶことができ、時として先生の話を聞くより頭に入りやすい、というような雰囲気です。何より、生徒を見守ることに心血を注ぐ先生方はこれまでと違った挑戦をしているのだろうし、先生方の負担が軽減されるのも大きなメリットだと思いました。


– 島留学をしてきて、島で生まれ育った生徒たちから学んだことって何?
実は私は、瀬戸内海に浮かぶ大崎下島で生まれ育った、言わば「島の人間」なんです(笑)。この点でいえば、島留学生と島内生の中間的な立場にあったと思います。
ただ、私の出身の島と島前地域の違いは、島前の生徒たちは積極的に地域活動に出ているということです。島留学生はわざわざ島前に来ただけあって地域に出たがる傾向が強く、イベントでもよく見かけると思います。でも、それと同じくらい島内生も見受けられます。私にとってはこれが衝撃でした。私の地元の高校生をイベントで見ることは稀で、高校生とはわざわざ地域に出たがらないものだと思っていたからです。なので、島内生の地域に出るその姿勢に胸を動かされたと同時に、島内生から地域を愛することの大切さのようなものを私自身が学んだ気がします。

(後編につづく)

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