インタビュー特集

失敗共創インタビュー④(ゲスト:普通科改革支援事業運営共創委員 熊平美香さん)<前編>

咋年度より、本校では、学校スローガン「失敗を共に称える学校」を掲げ、学校経営目標を着実に前に進めるために、失敗共創プロジェクトが立ち上がりました。今年度は、踏み込みプロジェクトとしてバージョンアップしていきたいと思います。

踏み込みプロジェクトでは、日常の価値ある失敗を共有し、失敗を恐れずに踏み込める土壌をつくることを目的に、失敗共創インタビューを行っています。

 

失敗共創インタビュー4回目となる今回は、一般社団法人21世紀学び研究所代表理事でもあり、本校の普通科改革支援事業運営共創委員でもある熊平美香さんをお招きしました。インタビュアーは、2022年度踏み込みプロジェクトメンバーの佐藤、大野、宮野、小谷です。

<前編><後編>に分けてインタビューをお届けします。

 

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踏み込みプロジェクトメンバー(以下、踏):今日はよろしくお願いいたします。

熊平(以下、熊):よろしくお願いします。失敗がたくさんありすぎてどうしましょう(笑)

踏:(笑)

踏:早速ですが、これまでの社会人生活の中での渾身の失敗は何でしたか?

熊:企業研修での失敗です。私の言葉で失敗は学習なので、企業研修での学習と表現させていただきます。企業変革を得意としていたこともあり、ある大手企業で、変革推進のリーダーを育てることを依頼されました。経営層からの依頼は、ミドルリーダー層を集めて研修を行うことでした。研修そのものはとても成功し、ミドルの人たちが盛り上がって、あれこれやりたいということになったのですが、ミドルの上の部長層は何も変わってないから、さまざまなズレが生じ、ややこしいことが色々と発生してしまったのです。結果、変革の推進にならずに誰も幸せにならなかった。なんだったんだろうこれ、となってしまいました。

踏:へぇ!どれくらいの期間かけて行った研修だったのですか?

熊:半年くらいでした。

踏:ミドル層に火がつきすぎてしまった。その後、そういう結果が出て、その後どう振り返って次に活かしましたか?

熊:上の人がリフレクションしない限り、組織は変わらないという結論に至りました。実際、それまでも、経営層からは、直下の部長ではなく、ミドルを対象に研修を行っして欲しいという依頼が多かったのです。部長が変わると思えず、少し若手のミドルに期待をかけるという傾向は、多くの企業に共通のものでした。しかし、部長が変わらないことを許している間は、企業変革を成功させることができません。つまり、私の行っている研修は、変革推進の役に立たないということに気づきました。そこで、意味のない仕事をしていても、お金はもらえるけど、自分が壊れてしまうと思い、企業の人材育成から離れました。そして、ご縁もあった日本一の生徒数を誇る塾の塾長育成と、学校の教員養成に軸足を移していきました。そこで、教育の可能性に気づきました。ところが、オランダで、4歳の子どもがリフレクションをしているのをみて、大人ができないことは、子どもに教えることができないことに気づきました。子どもはすぐに学び実践することができるのに、大人がその障壁になっていると気づき、教育を変えるために、大人を変えるという考え方に立ち返りました。

踏:熊平さんの考え方で、前に大人が対象だったときと今との違いはどこにあると思いますか?

熊:丁寧に「リフレクションとはなにか」、「対話とはなにか」についての本を書きましたが、ハウツーをいかに実践できるように届けるか、その方法を常に考えています。「大人ができないのは、自分の伝え方が十分でないからだ」という意識で、リフレクションを繰り返し、自分をアップデートさせるようにしています。著書にも書いた、認知の4点セットは嘘をつかない。大人なんかは、みんな賢いから教科書のように自分でストーリーをつくるけど、4点セットは嘘をつかない。認知の4点セットで、考えを述べてもらうことで、自分を見つめる機会になります。自分に正直に生きている高校生にとってはそれほど難しいことではないかもしれません。一方、先生の言う事に忠実であろうとする生徒の多くは、自分の考えや気持ちに向き合う機会が少ないため、難しさを感じるかもしれません。

 

踏:生徒が最初のワークを体験し、どのように受け止めたかはわかったと思います。その後、リフレクションチームが継続してやっていますが、認知の4点セットのフレームワークは残っています。特に、感情が出てくるのが良いなと思っています。我々おじさんたちは、感情を殺してしまいますからね。

熊:色々と研修をやって、認知の4点セットでお話を聴くと、怖そうなおじさんとかが逆に愛おしく思えたんです。彼らも、そうしないと生きていけなかったんだなと思う。優しい心を持っている人が、男の世界で生きていくためには、「怖そう」である必要があったのだと思いました。彼らのリフレクションを聴きながら、見た目でバイアスをかけてはいけないんだなと思いました。

踏:そういった「ヨロイ」を脱ぐことをなんと呼んでいますか?アンラーン?

熊:アンラーン 学びほぐしは、まだ、全員が前向きに実践できる状況ではないです。アンラーンは、幸せになるためには本当は必要だけど、アンラーンをサクサク行う世界を創るためには、もう少し時間がかかりそうです。

踏:おじさんがほぐれていく瞬間ってどうやって引き起こしていますか?

熊:今は変わりたい、あるいは、変わる必要があると思っている人を中心にアンラーンを実践するワークショップをやっています。変わることに抵抗が少ないのは、クリエイティブなことに関わっている方たちですね。仕事柄、柔軟性が身についているからだと思います。一方で、名門の大企業の皆さんは、自信もあり、自己を批判的に眺める理由もなく、リフレクションやアンラーンの観点からは、最も遅れていると感じます。ニーズを実感できないし、今のままでよいと思えるからだと思います。しかし、名門の大企業で働く若手やミドルの中には、「このままでよいのか」という疑問を持つ人も現れています。

踏:確かに、島に来て、顔が変わって癒やされて帰っていく方もよくいるように思います。「久しぶりにワクワクしました!こんなの20年ぶりです!」みたいな感じで。

熊:でも元に戻っちゃうんだよね。

踏:マッサージ的。こったらほぐすけど。

 

踏:本校の振り返りのアドバイザー的に1年関わっていただいたのですが、去年の最初の振り返りの時間と、今回(2022年度末の3月)の成果発表会で、変化をどう感じられましたか?

熊:去年は、生徒が振り返りを「先生の為にやるものだ」と思っていましたが、今年は自分達の為にやるものだという認識で、呼吸と同じくらい自然にリフレクションを行っていることが、最も大きな変化です。

熊:去年は、正直、絶望して帰ったんです。振り返りは主体的なものであるから、他人のためにやることではないんです。子どもたちが振り返りを「大変よい学びになりました」みたいな先生が喜ぶことを書くものだったところから、成果発表会でのリフレクションは、先生の為じゃない自分のためのものになっていました。

踏:生徒は、先生が喜ぶようなことを書きがちなところもまだ残っていると思いますが、僕の中では経験値が1,5倍になるという話をよくします。振り返りをしたほうがよりレベルが上がりやすい。今は、そういった感覚を生徒は持ってるんじゃないかなと思います。

熊:お得なことっていう認識が生徒の中に入ってきているんじゃないかな。そういったことを、発表を聞きながら感じました。普段、近くにいると感じませんか?

踏:自然すぎて、こんなに変化したのかというのは感じない。最初やったときに「うっ」という感じがあったけど、それはなくなったかもしれません。

 

踏:去年までは振り返りと踏み込みが別物だったけど、それが共になった感覚もあります。バリューセットみたいな。

熊:3つのもの(踏み込み・振り返り・共に創る)が一緒になっていましたね。自分で決めた計画に従って踏み込んでも、想定通りにならない。そこで、活動を終えるのではなく、リフレクションして次の踏み込みを行う。この繰り返しの結果が、成果発表会の内容そのものでした。

 

踏:踏み込みと振り返りの関係についてですが、逆に踏み込まないと振り返りしても意味がない、踏み込んだからこそ振り返りが機能してくるみたいな関係をどう捉えていますか?

熊:おっしゃるとおりで、踏み込むことで初めて意味のある振り返りが行なえます。踏み込み自体に不確実要素が強ければ強いほど、振り返りが必要で、振り返ることで初めて前進するこることが可能になります。世の中でそれほど振り返りが重要だと思われていなかった背景は、そもそも踏み込んでなかったから。自分ができる範囲のことだけやっていたら、振り返りは必要なかったんです。

踏:大きな失敗をしても、振り返りをすれば生き返ることができる。

熊:その通りです。ところが、賢い人の多くは、大きな壁を見つけると、大きなゴールを手放し、小さいゴールで満足してしまう。だから、振り返る必要がない。壁に、本気でぶつかっていけば、壁が破れないことに気づき、壁を破る方法を見つけるために、振り返るのは自然の行為です。

 

踏:教育とも関わっていると思います。小さいころから失敗させないように育てようとすると、子どもたちも何となくその感覚が身についてしまっていくように。

熊:そのことに関連して一つお話したいことがあります。私は、高校時代アメリカに留学したのですが、その時にある人に言われたことが、今の教育の指針になりました。「将来何になりたいの?」と聞かれたので、あまり具体的な答えを持っていなかったのですが、「グローバルに活躍できるようになりたい」答えました。そしたら、「素晴らしい夢!美香なら絶対に叶えられるよ」と言われました。その時に私は、初対面の相手が、なぜ、そんな事を言うのだろうかとびっくりしました。ただ、その人が伝えてくれた「一生懸命やって出来ないことはない。万が一できないとしても失うものはない」という言葉は、とても重要なメッセージでした。これが日本だと、「何言ってるの、そんな大きな夢を言って」と言われる。「そんなことより勉強しなさい」になる。その後、学習する組織論に触れる中で、人間が本気になってなにかに向かう時には、そうではないときに比べると、モチベーションも学習意欲も、成功の可能性も高まり、人間は、最も大きく成長することを知りました。そう考えると、万が一、得たい結果を手に入れなくても、失うものはない。「成功しないかもしれない夢を持たせたら不幸になるかもしれない」という心配や恐れが日本の親にはありそうですが、実は、その結果、成長の機会を失っているとも言えます。人生は、プロセスなのに、結果ばかりを気にするから、踏み出すことを恐れる大人に育ってしまう。

踏:起こらないことを恐れている?

熊:失敗しても死なないのに、子どもの夢を潰す人が結構多い。私の子どもは、小学生のときに、小泉総理に憧れて「総理大臣になりたい」という夢を持ったんです。ところが、先生にその話をしたら、先生から「お前の親は政治家か? 政治家なんて殆どが世襲なんだぞ」と言われたとショックを受けていました。子どもの夢は、「あーそうなんだね」と放っておいた方がよいです。将来自分のことを見つめるヒントになるからです。総理大臣になることが大事なのではなく、総理大臣の何に惹かれていたのかが、将来、キャリアを考える上でヒントになります。よいスピーチをしたいのか、社会をよくしたいのか、なぜ総理大臣が魅力的に思えたのか、夢に選んだキーワードは、自分を知るための貴重な情報源です。

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次回、<後編>へ続きます。

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