校長室より

【2022/10/13『第1回 失敗の日』を終えて】 

2022/10/13『第1回 失敗の日』を終えて】

       HPhttps://www.dozen.ed.jp/local/7386/

多少長文となるが、今回もひとりごとにお付き合いを。

6月の学校経営会議で話題となったフィンランドの「失敗の日」。この日の会議はこれを話題に笑顔で楽しく盛り上がった。「この時間を生徒にも」の思いからスタートし、なんとか実現にこぎつけた。そして当日は多数の「楽しかった」の反応、まずは素直にホッとしている。

当日は私も午後からの生徒グループ協議に参加したが、あるグループでこんな話になった。「これから踏み込むべきことを語り合うテーマですけど、急に言われても。」「ぼやっとは見えるけど…、今は特段ないです。」そこで私は生徒に「なら、アンテナ鍛えておく方法でも考えようか」と持ちかけた。

 

約20年前、私は進学校と呼ばれる学校に勤務していた。卒業生の「大学等の中退率や早期離職の増加」が数字となって現れ始め、従来型のキャリア論(自分の興味、適性、能力などから、目指すべきゴールが設定され、そのために努力すべき事が明確になる)に戸惑いを感じ始めていた。加えて、先の見えない時代にあって、一つの仕事や職業をひたすら目指すことは、「それ以外の可能性を見失うことにもなるのでは」とも感じていた。そのような時、私に大学院で学ぶ機会が巡ってきた。その際に出会った理論がスタンフォード大学のクランボルツ教授によって提唱された「計画的偶発性理論」(個人のキャリアの8割は、本人の予想しない偶然よってコントロールされる)である。

変化の激しい時代にあって、将来の社会や技術革新の状況は個人の意思でどうにかできるものではなく、状況によっては目指す職種が消滅する可能性も否定できない。そのような時代背景で、「何になりたいかという目的意識に固執すると、目の前に訪れた想定外のチャンスを見逃しかねない」とクランボルツ教授は指摘した。

※計画的偶発性理論は、以下3つを基軸としている。

1.予期せぬ出来事がキャリアを左右する

2.偶然の出来事が起きたとき、行動や努力で新たなキャリアにつながる

3.何か起きるのを待つのではなく、意図的に行動することでチャンスが増える

私は大学院修了後、この理論を特に高校1~2年生を担当する際、学級経営や授業の基礎に据えることとした。

 

計画的偶発性理論では明確なゴール設定はしないが、ボンヤリとした方向性を持つことは否定していない。目標を一点集中させ可能性を狭めるより、目の前のチャンスにピピッと気づけることが大切である。例えば、「絶対に高校の数学教師になる」と決めるよりは「何か人に教える仕事がしたい」と考えたほうがチャンスはキャッチしやすいと考える。むしろ、その姿勢で常にアンテナを高く立てていれば、自分に有用な幅広い情報や人が向こうから近づいてきてくれるのではないだろうか。(方向性が定まっていないとアンテナの受信感度は低下しかねない)

 

隠岐島前高校の学びにおいては、新しい「出会い」や「出来事」を得る機会は少なくないはず。そうした時、これまでにはなかった違和感を覚えた時にこそ、より強い関心を持って、取り組んでみてほしい。それは自らのアンテナの感度が上がっている証拠であり、同時に偶然のように見えて実は偶然ではないかもしれない。人との「出会い」は非常に重要な要素となる。直接的には夢探究で出会った大人、たまたま連絡した友人、保護者や教師の何気ない一言など、間接的には図書館でたまたま手に取った書籍や新聞でふと目にとまった記事など、誰からチャンスがもたらされるかはわからない。偶然の出会いこそ大切にしてほしい。そして「出来事」は、成功体験や失敗体験から謙虚に学ぶチャンスを与えてくれる。特に失敗の機会というのは、自らの成長のための「計画された偶然」であるかもしれない。用心しすぎず、あえて挑戦し続ける姿勢こそが重要なことだと思う。私自身もまさに様々な「出会い」「出来事」によって、自らを高める機会を得られたと思う。ただ、強く思い起こすことは、決して自身一人で考え、行動した結果ではなく、必ず側に影響を与えてくれた誰か、あるいは伴走してくれる誰かがいてくれたことである。

 

グループ討議した生徒たちには、「振り返って見ると、あの偶然で今の職を選んだかもしれない。そんな「出会い」や「出来事」が自分にもあったな」「みんなもそんな思いをいつか持ってみたくないか」と語りかけた。

 

11月には、自身の「出会い」や「出来事」を紹介できればと思いつつ、今回の駄文作成はおしまいとしたい。お付き合いいただき感謝。

この記事をシェア